2日目の鹿児島市内から指宿までの電車「いぶたま号」の中から島が見えました。
車内アナウンスでちょうどこの週末は大潮で島まで徒歩で渡れます~と。
指宿でチェックアウトする際に宿の人からも今日は4時ごろまで渡れますよと。
まあ、タイミングが合えばと思っていましたが、母は渡る気満々でした・・・。
知林ヶ島まで歩きます
池田湖を後にして、知林ケ島へ渡れる場所まで来ました。
ちょっと見るつもりで車から降りたら・・・母がどんどん歩きだす。
・・・。
鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ美しい無人島です。3月から10月にかけての大潮又は中潮の干潮時には,長さ約800mの砂の道(砂州)が出現し,知林ヶ島に歩いて渡ることができます。
陸と繋がる島であることから,縁結びの島とも言われ,島には周遊道路や展望台,「チリンズベル」と名づけられた鐘などが整備されています。
ただし,現在,遊歩道まで上ることはできません。
砂洲情報は砂洲カレンダーで確認しましょう。
ご存知かと思いますが・・・私は体調不良のためほとんどなにも食べていないのでこの砂洲を歩く体力はない、ただ島を遠くから見るだけだと思っていましたが、なんと母はそんなことはまったく気にせずどんどんと歩いていってしまい・・・
携帯へ電話しても気が付かず・・・しかたなく追いつくまで歩き、ちょっと私しんどいんですけど・・・と言うと、もう少しだから頑張って!と励まされ・・・おいおい。
距離は800メートルですが、砂浜を歩くように足は前へ進まずとても歩きにくい!
当たり前だけど往復1600メートル。1.6キロ。
ふらふらなのに更に体力消耗・・・今考えると水分も取らずかなり無謀なことをしました。
というか、させられました。
無事渡れて帰ってこれたのも・・・コレ、旅先マジックでしょうか?
渡りきった島、そこには渡島証明書の販売がありました。
1枚で十分なのに、母は私の分と2枚購入。
(今思い出すと、お支払は私でした・・・)
2時半ごろから渡りはじめたのですが、4時ごろまでに戻らないといけないので
慌てて来た道を戻りました。
島から戻る途中に貝殻を拾いながらのんびり歩く母を置き去りにし、一人で歩いていると地元ボランティアの方と隣になり、お話しながら歩いてきました。
戦争を知っているということでしたので、70代か80代かと思われる男性でしたが
昔はこの辺りでは魚も沢山取れたというお話などをして歩いていましたが、これから知覧へ行くというと、知覧は有名だけど、ここも戦時中特攻隊の滑走路として使われていて、襲撃により何十人かの子供たちが亡くなったいうこと、島の先の方にレールのようなものが海にあり、10代のまだ子供が板に爆弾を付けたものを体をくくりつけて人間魚雷のようにして敵の船に突撃していった場所であるともお話ししてくださいました。
ガイドブックには歩いて渡れる知林ヶ島としか書いていなくて渡れてラッキーくらいの気持ちでしたが、こうやって偶然会った方とお話しすることで戦争について知ることになりました。
貴重なお話を聞くことができなんとも言えない気持ちでもあり、それと同時にとても興味深い話を沢山聞くことができました。
こういう出会いがあるのもひとり旅の良さですね。
(今回はひとり歩きでしたけど)